なかにし農縁とは

なかにし農縁ヒストリー


30代後半で脱サラ!雑穀生産者になろうと決意

福島県で車の整備士として働いていましたが、つぶつぶ(雑穀)料理を作って食べる機会があり、その料理に魅了されました。

すぐに雑穀の種を取り寄せ、育ててみると、小さな粒が力強く成長し、数万粒の実をつける姿に心が踊りました。「これこそが本当にやりたいことではないか」と感じ、雑穀の歴史や文化への興味も深まっていきます。同時に雑穀を栽培したい意欲がどんどん高まっていきました。

当時、自動車整備士を仕事としていましたが、安定収入とは裏腹にその想いは日に日に強くなっていくばかりでした。ある日、思い切って妻に打ち明けてみると、ありがたいことに「やってみたら」と言ってくれたのです。

想いだけでは栽培者にはなれない!突きつけられた大きな壁

ところが、いざ新規就農の扉を開こうとすると、役場からは厳しい声が飛んできました。

「雑穀で生計が立てられるのか?」
「雑穀栽培だけでは新規就農者としての認定はできません。」

私の志に反して、厳しい現状を突きつけられました。雑穀栽培は他のメジャー作物に比べ、機械化が進んでいないので、家族を養えるほど収穫量を確保できるかが問題だったのです。

確かに思いだけでは、暮らしてはいけないし、長続きしないのも事実です。それでも、現実と逆行して雑穀栽培をやりたい気持ちは日に日に高まっていくのです。机に向かい、細かい計算を何度も何度も繰り返しました。

年問の労働時間、有機肥料や機械、設備費、販売収益、作付け計画などなど…。

資料を集め、有機農家さんにも相談を持ちかけました。そして、最終的に見えてきたのが枝豆栽培を6割、その他の野菜の栽培をー割組み込んだ複合型の農業スタイルです。努力の甲斐があり、なんとか採算の取れる経営計画書類をまとめることができました。

そして、無事役場にも認められ新規就農者としての認定をもらうことができたのです。

雑穀栽培における新規就農への流れ

最初につぶつぶ栽培者ネット事務局の郷田さんに相談しました。すぐに栽培者さんを紹介してもらい、1年間、会社勤めを続けながら毎週末に栽培体験をさせていただきました。

その後、会社を辞め、まずは山形県農業支援センターに行き農業次世代人材投資資金を申請をしました。その補助金を活用して、ー年間研修プログラムに参加しました。

その間に農地を見つけ、翌年には自立して農業を開始しました。実際に経営を開始しても5年間は町からの支援金を受けられます。その間に農業経営を軌道に乗せることができました。

私にも相手にも優しい「なかにし農縁」のコンセプト

農薬や化学肥料を巧みに使うことで、労働時間の短縮、安定収入に繋がるので、それが現在主流の栽培スタイルです。実際、周りの畑には私みたいに毎日作業をしている人はほとんどいません。

それは価値観の違いかもしれませんが、なかにし農縁では育てた農作物を食べてくれる人の体に優しく、また農薬を直接浴びるのは散布する本人なので、それを使用しないことで私自身にも優しい、そしてもちろん、大地にも優しいそんな栽培をコンセプトにして取り組んでいます。

今後の展望

多種多様な微生物や虫、小動物が生息していて、できるだけ自然に調和した畑作りを心がけています。また、作業工程の改善、改良を進め、適度に機械化し、農作物の特徴をより知ることで、生産性をあげることが可能になってきています。

将来的には雑穀栽培だけで生計が立てられるように創意工夫を繰り返しています。また、できるだけ多くの種類の雑穀栽培を試みています。色々な地域の雑穀の色、形がどのようなものかを見てみたい思いが強いからです。

昨年は3種類育てました。今年は8種類を育てています。世界の雑穀にも目を向けて、どんどんその数を増やしています。色とりどりの雑穀が観察できる畑を作っていこうと計画しています。

プロフィール


中西 宏太郎 なかにし こうたろう

農を通して緑づくり
福島県出身、元自動車整備士。家族でいのちのアトリエに行った時に、っぶつぶ三昧で美味しさに気づく。
30代で脱サラ雑穀生産者になるうと決意して、家族で山形へ移住。
2019年、有機農業の里・高畠町で新規就農。
特に移住したい方、移住先で新規就農したい方。家族で息抜きしたい。
大歓迎!大きい畑で楽しみましょう。

中西 絢子 なかにし じゅんこ

福島県出身。夫、娘3人の5人家族です。東日本大震災後、放射能や食の不安から「つぶつぶ」に出会いました。
見ているだけなのに料理上手になってしまう料理教室に感動し、料理コーチを目指すようになりました。
2019年に夫が新規就農し、無農薬・無化学肥料・安全でおいしい雑穀と野菜作りに励んでいます。